東京地方裁判所 平成4年(特わ)352号 判決 1993年10月26日
本籍
神戸市兵庫区浜崎通四丁目二九番地
住居
東京都港区赤坂四丁目一四番一九号
医師
井上禮二
昭和一四年一二月一五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官渡邉清、弁護人大久保宏明(主任)、同富永義政、同安倍治夫各出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役二年六月及び罰金一億五〇〇〇万円に処する。
未決勾留日数中一六〇日を右懲役刑に算入する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、東京都台東区上野七丁目一〇番四号中央ビル四階において、「上野駅前クリニック」の名称で診療所を開設して医業等を営む傍ら商品先物取引を行っていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、商品先物取引を他人名義で行うなどの方法により所得を秘匿した上、昭和六三年分の実際総所得金額が一三億〇五四六万六〇八八円(別紙1所得金額総括表及び同2修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、平成元年三月一五日、同区東上野五丁目五番一五号所在の所轄下谷税務署において、同税務署長に対し、昭和六三年分の総所得金額が八五九万六八七〇円で、これに対する所得税額が一二六万四八〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額七億七三五五万一〇〇〇円と右申告税額との差額七億七二二八万六二〇〇円(別紙3ほ脱税額計算書参照)を免れたものである。
(証拠の標目)
一 被告人の当公判廷における供述
一 第一回ないし第四回、第六回、第七回、第九回各公判調書中の被告人の供述部分
一 被告人の検察官に対する供述調書(八通)
一 第五回公判調書中の証人松本洋勝の供述部分
一 仁井延吉、居村憲二、小野巌、井上多喜子、松本洋勝(二通)、松尾昌明の検察官に対する各供述調書
一 大蔵事務官作成の商品売買益調査書、支払利息調査書、机借料調査書、謝礼金調査書、事務所費調査書、領置てん末書、報告書、捜索差押てん末書抄本(二通)
一 検察事務官作成の捜査報告書、報告書(平成四年一〇月一六日付け)、証拠品分割報告書
一 押収してある所得税確定申告書(昭和六三年分)一袋(平成四年押第六〇〇号の1)、六三年分所得税青色申告決算書(一般用)一袋(同号の2)、六三年分所得税青色申告決算書(不動産所得用)一袋(同号の3)、売付・買付報告書及び計算書一通(同号の4)、建玉残高照合調書一枚(同号の5)
(争点に対する判断)
便宜上、以下の記述において証拠を引用するに際しては、公判廷における供述と公判調書中の供述部分とを区別せず、証人の供述は「証言」、被告人の供述は「供述」と表示する。
一 本件の主要な争点
弁護士らは、昭和六三年一月から同年一二月までの間に豊商事株式会社上野支店(以下「豊商事」という)ほか五か所において、山田市郎名義など九つの取引口座で行われた商品先物取引(以下「本件取引」ともいう)は、被告人個人の取引ではなく、被告人が実質的経営者である有限会社礼幸(「以下「礼幸」という)の取引であるから、これが被告人に帰属することを前提とした本件所得税法違反について、被告人は無罪であると主張する。
二 まず、前掲各証拠によれば、次のような事実が認められる。
1 被告人は昭和五一年四月に医師免許を取得し、同年一〇月には台東区上野に性病科専門の診療所「上野駅前クリニック」を開設して診療を行っていたが、昭和五五年から都心のマンションを順次購入し、これを賃貸して賃料等の収入を得ていた。
2 ところで、被告人は、商品先物取引(以下単に「取引」ともいう)の仲介業を行う会社の外務員から取引の勧誘を受け、昭和五五年八月から豊加商事株式会社本店(以下「豊加商事」という)、カネツ商事株式会社(以下「カネツ商事」という)に、同年九月からはエース交易株式会社(以下「エース交易」という)にそれぞれ委託して実名で取引をしていたが、豊加商事、カネツ商事とは一年足らずで取引を打ち切り、エース交易に対する委託は続けたものの、昭和五八年二月には約三〇〇万円の損失が出た。しかし、被告人は、外務員の無断売買であることを理由に右損失の清算を拒絶した。
3 同年二五日、被告人は、エース交易との清算を拒絶したため、実名では他の会社にも取引の委託はできないと思い、さらには、医師が投機性の強い商品先物取引をしていることがわかると世間体が悪いと考え、豊商事に仮名である山田市郎名義の取引口座(以下「山田口座」という)を開設し、手持ち資金を使って取引を始め、同年中に約五〇〇万円の利益を得たが、取引を広げようと思って、その利益全額を委託証拠金に振り替えるなどして、昭和五八年分の所得税確定申告において、右取引売買益を計上しなかった。被告人は、昭和五九年、翌六〇年と引き続き山田名義で取引を継続したが、昭和五九年に約三六〇〇万円、翌六〇年に約一〇〇万円の損失を被った。
4 また、被告人は、商品先物取引同様、医師が右1の不動産業を営んでいることがわかっても世間体が悪いと考え、会社名義で不動産業等を営むこととし、昭和五九年三月一九日、被告人の実妹井上多喜子(以下「多喜子」という)の住所地である江東区木場二丁目二一番地七-三〇三号を本店所在とし、不動産賃貸、医薬品販売等を目的とする資本金九〇〇万円の有限会社礼幸を設立し、代表取締役に多喜子、取締役に被告人の実母井上サメが就任したとする登記手続を行った。しかし、右両名は名目上の役員にすぎず、礼幸としての不動産購入やそのための融資の交渉、契約、さらには代表者印等の管理は、いずれも被告人が行っていた。なお、被告人は、昭和六一年五月一〇日、不動産賃貸等を目的とする資本金四〇〇万円の有限会社礼喜(以下「礼喜」という)を設立したが、礼喜は設立当初から全く活動をしていない、いわゆるペーパーカンパニーであった。
三 次に、前掲各証拠によれば、本件取引に関連して次の各事実を認められる。
1 豊商事に委託した取引について
(一) 被告人は、昭和六〇年一〇月二四日、豊商事に礼幸名義の取引口座(以下「礼幸口座」という)を開設して取引を始めたが、その際、豊商事へ提出した承諾書・通知書(以下「承諾書等」という)の特別な連絡場所欄は白地のままにして、山田市郎と同一の千代田区所在の神和ビルで営業する貸机業者の所在地を礼幸の事務所所在地として記載し、同月二八日の礼幸名義による前橋乾繭の取引の委託証拠金一一〇万円は手持ちの個人資金から出損した。
(二) さらに、礼幸名義の右取引の委託証拠金として、<1>同年一一月六日に六〇万円、<2>同月一三日に一一〇万円、<3>同月一四日に九三万四〇〇〇円、<4>同月一五日に八〇〇万円、<5>昭和六一年一月七日に五三三万二〇〇〇円が入金されているが、このうち<1>、<4>、<5>は山田名義による前橋乾繭の取引の委託証拠金が、<2>、<3>は右取引の利益金が、いずれも即日、山田口座から礼幸口座に振り替えられている。これとは逆に、昭和六〇年一一月二九日に八〇万円、同年一二月四日に三〇〇万円、同月五日及び六日に各二〇〇万円が、礼幸口座から山田口座に振り替えられている。
(三) その後、礼幸及び山田名義の取引では損失が増えたため、被告人は、昭和六一年から翌六二年にかけて、礼幸名義のマンションを担保に、貸金業者である株式会社七光商会(以下「七光商会」という)から三回にわたって、礼幸名義で合計三〇〇〇万円を借り入れ、礼幸あるいは山田名義の取引の各委託証拠金あるいは損失の清算金として使用し、その後、右借入金は、被告人の手持ち資金及び被告人が個人で借り入れた資金によって返済された。
(四) 被告人は、同年八月ころから、礼幸及び山田名義での東京綿糸の取引に利益が出はじめたため、右取引に集中的に資金を投入することとし、被告人所有のマンションを担保に、七光商会から二回にわたって、被告人個人が合計五〇〇〇万円を借り入れ、これらを礼幸及び山田口座に順次入金した。
(五) 右のとおり、被告人は、東京綿糸の取引を集中的に行ったところ、昭和六三年一月から三月にかけて毎月五〇〇〇万円前後の利益を得た。そのころから、豊商事の松本洋勝支店長(以下「松本」あるいは「松本支店長」という)がしきりに取引を広げるように勧めてきたので、被告人はその助言に従って取引を広げたところ、礼幸名義の取引により、同年四月から五月にかけて横浜生糸で約二億円、前橋乾繭で約二億六〇〇〇万円の利益を得た。また、山田名義の取引により、同年五月に前橋乾繭で約一億一〇〇〇万円、同年七月に東京砂糖で約一億三〇〇〇万円の利益を得た。そして、同年中に礼幸名義の取引で合計約九億円、山田名義の取引で合計約二億円の利益を得た。なお、これらの利益金は、さらに商品先物取引の委託証拠金として入金するなどして、被告人の手元にはほとんど残さなかった。
(六) 被告人は、右(五)のとおり、松本の助言によって取引量及び利益が大幅に増加したため、利益金の管理を松本に任せることとし、昭和六三年四月二〇日、礼幸口座から引き出した利益金の中から二〇〇〇万円を渡した。松本は、同日、三井銀行上野支店に同人名義の普通預金口座(以下「松本預金口座」という)を開設し、これを預金した。右の二〇〇〇万円は、同月二二日に払い戻され、山田名義の委託証拠金として入金された。その後も松本は、被告人の指示に基づき、礼幸あるいは山田口座から利益金を引き出して松本預金口座等に預金したり、預金を払い戻して被告人に渡すなど利益金の管理をしていた。
3 岡地株式会社東京支店(以下「岡地」という)に委託した取引について
(一) 被告人は、豊商事の松本支店長が頻繁に被告人の取引に口を挟むようになったため、松本支店長の容喙を嫌い、昭和六三年五月七日、岡地に礼喜名義の取引口座(以下「礼喜口座」という)を開設して取引を始めたが、その際、岡地へ提出した承諾書等には、千代田区所在の清和ビルで営業する貸机業者の所在地を礼喜の事務所所在地として記載し、礼喜名義による横浜生糸の取引の委託証拠金三二〇万円は手持ちの個人資金の中から出捐した。
(二) ところが、同月中旬ころ、岡地では、被告人の説明と異なり、礼喜はペーパーカンパニーである上、被告人が役員として登記されていないことに気付いたため、礼喜名義の取引について実質取引をしている被告人が全責任を負う旨を約した念書の提出を求め、被告人はこれを応諾し、署名押印をした念書を岡地に差し出した。
(三) 被告人は、同月九日、豊商事の山田口座から利益金三九五七円余り(うち三〇〇〇万円は小切手)を受領し、同年六月一日、右小切手を礼喜口座に入金し、被告人が三菱銀行上野支店から個人で借り入れた三五〇〇万円は、同月一四日、礼喜名義の委託証拠金として入金した。そのほか、豊商事の礼幸口座や松本預金口座、豊加商事に借名で開設してある松尾聖口座(以下「松尾口座」という)から利益金を引き出し、あるいは被告人の預金口座から現金を引き出して、礼喜名義の委託証拠金として入金していた。
(四) この間の同月一日、被告人は、礼喜名義で銀の買い注文を出したところ、建玉制限に触れるため、岡地の外務員仁井延吉(以下「仁井」という)は、自己が開設してた大石邦夫名義の仮名口座(以下「大石口座」という)を被告人に名義貸しすることとし、その旨被告人に説明し、委託証拠金が礼喜口座から大石口座に振り替えられ、礼喜名義で銀が買い付けられた。また、被告人が礼喜名義で大豆の買い注文を出したときも建玉制限に触れるため、前同様、委託証拠金が礼喜口座から大石口座に振り替えられ、礼喜及び大石名義で取引がなされた。なお、被告人は、仁井の求めに応じ、大石名義による右銀及び大豆の取引については礼喜が全責任を負う旨を約した約諾書に礼喜名義で署名押印して提出したが、岡地では被告人から右(二)の念書を徴していたため、結局、右約諾書は大石名義の取引についても被告人が全責任を負う意味であると理解していた。
(五) さらに、被告人は、同年七月二二日、建玉制限を免れるため、右(一)の貸机業者の所在地を住所地として記載した承諾書等を提出して、知人の大沢一夫の名前を無断で借用して、岡地に同人名義の取引口座(以下「大沢口座」という)を開設し、礼喜口座から大沢口座に委託証拠金を振り替えた。
(六) このように被告人は、岡地を通じて三つの名義で取引をし、同年中に二億九〇〇〇万円余りの利益を得た。なお、これらの利益金は、豊商事で得た利益と同様、さらに商品先物取引の委託証拠金として入金された。
4 豊加商事に委託した取引について
(一) 被告人は、建玉制限を免れるために一つでも多くの取引口座を開設しようと考え、昭和六三年六月二七日、豊加商事に知人の松尾聖(以下「松尾」という)の名前を無断で借用して、松尾口座を開設したが、その際には、被告人所有のマンションの所在地を住所地として記載した松尾名義の承諾書等及び松尾名義は被告人と同一人として取り扱ってほしい旨を記載し、被告人が署名押印した念書を提出した。
(二) そして、松尾名義による東京砂糖の取引の委託証拠金として、二回にわたって入金された小切手は、いずれも松本預金口座から払い戻しを受けたものであり、さらに、松尾口座から被告人の預金口座に振り替えられている。
5 富士商品株式会社(後に「フジヒューチャーズ株式会社」に商号変更。以下「フジヒューチャーズ」という)、株式会社大平洋物産(以下「大平洋物産」という)、カネツ商事に委託した取引について
(一) 被告人は、前記二2のとおり、カネツ商事に委託して実名で商品先物取引を行ったことがあったが、このときの同社の外務員で、昭和六二年五月から平成三年五月まで大平洋物産に勤務し、その後は岡地に移った小野巌(以下「小野」という)と親しく交際していたところ、昭和六二年三月下旬ころ、小野からフジヒューチャーズに委託して取引をすることを勧められ、被告人は、これを承諾して小野に取引を一任した。小野は、フジヒューチャーズで休眠状態にあった既設の西原武名義の取引口座を使って、そのころ被告人のために取引を開始し、被告人は、小野の求めに応じて被告人の預金口座から取引資金を渡していたが、昭和六三年三月から同年七月までの間に二七〇〇万円余りの損失が生じ、取引を終えた。
(二) 被告人は、同年三月ころ、小野から大平洋物産に委託して米国大豆の取引をすることを勧められ、その際、同席していた松尾の承諾を得て、同人名義の口座を開設して、小野に取引を一任し、被告人は、松尾名義の委託証拠金として五〇〇万円を入金したが、同年四月中に五五七万円余りの損失が出たため、被告人の預金口座から同額を出捐して清算した。
(三) 同年九月ころ、被告人は、小野からカネツ商事に委託して取引をすることを勧められ、小野に取引を一任し、小野は、同年一〇月からカネツ商事で既設の高橋裕二名の取引口座を使って被告人のために取引をし、被告人は、小野の求めに応じて被告人の預金口座から、二度にわたって取引資金を渡したところ、同年一二月末までに九〇万円余りの利益を得た。
6 その他の関連事実について
(一) 礼幸の事業の目的は、不動産賃貸及び医薬品販売で、商品先物取引は目的として明示されておらず、その事業年度は三月一日から翌年二月末日までであるが、礼幸名義の取引が開始された昭和六〇年一〇月以降の昭和六一年二月期から平成元年二月期までの各期の法人税確定申告において、昭和六〇年分の山田名義の約一〇〇万円の損失、昭和六一年、翌六二年分の山田及び礼幸名義の合計九八八八万円余りの損失、昭和六三年分の利益は全く計上されていない。そして、昭和六二年二月期から平成二年二月期までの決算は、いずれも赤字(設立以降黒字の証拠はない)に終わっており、その期間中の公表帳簿にも商品先物取引に関する事項は一切記載されていない。また、礼幸の代表取締役で、実際には経理を担当していた多喜子は、被告人から礼幸名義で取引をしているとだけ聞かされていただけで、本件取引を含む取引に全く関与していないことはもとより、具体的な取引の状況についても一切知らされていなかった。礼幸は、設立以来、組織らしい組織はなく、礼幸を名実ともに法人として活動させ、これを発展させるような被告人、多喜子の動きもなかった。
(二) 被告人は、昭和六三年七月から山田市郎の仮名で宿泊し、住居としていた上野のホテル「レインボー」五〇六号室、あるいは仕事場である「上野駅前クリニック」において、礼幸、礼幸名義の取引の委託証拠金預り証やその他の名義も含む取引の売付・買付報告書及び計算書等取引に関する書類を保管していた。
四 以上認定した事実関係に適法に取り調べた証拠を加え、本件取引の主体が被告人個人であるか礼幸であるかについて判断する。
1 取引をめぐる客観的状況及びその評価
前記認定のとおり、被告人は不動産取引を行うために設立した礼幸のいわゆるオーナーであるが、ここでは被告人が用いた礼幸名義の取引を主とする取引をめぐる客観的状況から、本件取引が被告人に帰属するのか礼幸に帰属するのかを検討する。
(一) まず、被告人は、礼幸設立以前から、手持ち資金を使って山田市郎名義で商品先物取引を行っていたところ、礼幸口座を開設した際、承諾書等の事務所所在欄に山田口座と同一の貸机業者の所在地を記載している。ところで、礼幸口座を使用して行う取引の主体が真実礼幸であれば、礼幸の本店所在地を記載するのが自然であるし、従前被告人が行ってきた山田名義での個人取引と区別する意味でもそれが必要である。この点につき、弁護人は、礼幸の本店所在地を記載すれば、被告人に連絡がとれず、取引が円滑に行われない旨指摘するが、承諾書等には事務所所在地欄とは別に特別な連絡場所の指定欄があるから、礼幸の本店所在地を記載しても、連絡場所を空欄のままとせず前記貸机業者の所在地を記載しておけば連絡面でも支障はないのであるから、弁護士の右指摘は採用できない。そして、礼幸名義の取引において礼幸の本店所在地の記載がないのであるから、当然のように礼幸名義以外の取引においても、承諾書等に礼幸の本店所在地が記載されたことはない。
(二) 次に、礼幸名義の取引は、被告人の手持ち資金やこれが原資となっている。山田口座からの振替資金、さらには被告人名義の借入金によって行われている。もっとも、本件取引以前の昭和六一年から翌六二年の間に、三回にわたり、被告人が保証人となった礼幸名義の借入金が礼幸あるいは山田口座に振り込まれ、委託証拠金あるいは清算金として用いられたこともあったものの、これも被告人個人の資金によって返済がなされている。また、礼幸及び山田口座と被告人の預金口座相互間での振替が終始行われているが、右両口座以外の取引も右三つの口座に加えて混交して振替使用されている。そうすると、本件取引を含む取引は一体として行われていたもので、加えて、山田名義の取引は礼幸名義の取引の前後を通じて継続的に行われていることを考えれば、礼幸名義を含む本件取引の主体が被告人であることが推認されるものである。この点につき、弁護人は、被告人が礼幸を取引主体とした時点で、被告人は個人の取引を清算終結しており、その後は被告人が礼幸に取引資金を貸し付けていた旨指摘するが、本件全証拠を検討しても、礼幸名義での取引開始の時点で、そのような事実が認められないばかりか、礼幸においてこれに沿う経理処理がなされていた形跡もなく、弁護人の右指摘は採用できない。
(三) さらに、取引は、小野に一任したものを除き、被告人がその判断に基づいて行っており、取引に関する書類も被告人が全て管理していたのに対し、礼幸の経理事務を処理していた多喜子は具体的な取引の状況はおろか結果すら知らされていない。この点につき、弁護人は、被告人の供述に沿う形で約二億円の利益が確定した昭和六三年三月ころから、松本支店長が取引に介入するようになり、そのうち自由に取引ができなくなって同支店長の無断売買になったなどと指摘するが、被告人は、豊商事から取引毎に、成立した取引の売数量、買数量、委託手数料等のほか、仕切注文による差引損益が記載されている売付・買付報告書及び計算書が送付され、さらに、少なくとも月一回は、取引口座に残存する建玉、委託証拠金、帳尻金、値洗差損金等が記載されている建玉残高照合調書が送付され、これらを受領している上、同年四月以降も豊商事の店頭に顔を出し、日々自己の相場帳に相場を記入し、委託証拠金に増減があったときに新たなものと引換えに回収される預り証、利益金を引き出す場合の領収証に山田あるいは礼幸名義で署名押印していることからすると、松本支店長による押しつけがましい取引の勧めはあったにせよ、同年三月以降の礼幸及び山田名義の取引も被告人の意思に基づいてなされたものと認められる。なお、被告人は、預り証、領収証は束にしてまとめて押印、受領させられた旨弁解するが、証人松本洋勝の「豊商事は金を扱う商売であり、被告人の弁解のようにだらしのないことはできない」との証言は、その内容からも十分信用できるから、被告人の右弁解は採用できない。
(四) 他方、被告人が小野に一任した取引をみると、小野から頼まれてフジヒューチャーズ、大平洋物産、カネツ商事における一任取引を許諾した際、いずれも実質は礼幸の取引であるとの意思を明示したことはなく、受任した小野においても、礼幸のために取引をしている意思はないのである。そして、フジヒューチャーズ、大平洋物産における一任取引の結果、三二〇〇万円余の損失を被告人が負担した後、さらに、小野から頼まれたカネツ商事における一任取引を許諾しているのであって、このような一任の態様は、到底礼幸の取引とみることができない。また、前記のとおり、岡地、豊加商事での仮名、借名での取引について被告人の取引であることを自認する念書を提出していることも、本件取引の主体が被告人であるとの推認を裏付けるものである。
(五) 加えて、被告人は、昭和六三年六、七月ころ、被告人が一〇億を超える利益を得たと認識した松本支店長から税務対策を問われたのに対し、政治家を動かして揉み消せると述べ、同支店長による再三の納税申告の慫慂をはぐらかしていたほか、同じく松本支店長に対し、礼幸で申告すると述べているが、本件取引について申告していないのはもとより、本件取引以前に生じた商品先物取引の欠損を礼幸名義において税法上有利な取扱いを受ける繰越欠損として申告していないこと、礼幸内部においても商品先物取引に関する処理がなされていないことなどからすれば、礼幸で申告するとの被告人の発言は政治家の話と同様松本支店長の納税申告の慫慂をはぐらかすためのものにすぎず、真実を話したものでないことは明らかである。これらの点は、被告人の脱税の犯意が強いことを示すとともに本件取引の主体が被告人であることを裏付けるものである。この点につき、証人多喜子は、「繰越欠損の処理ができるのに商品先物取引による損失を申告しなかったのは、そのような申告をして礼幸が右取引をしていることが取引銀行に判明すると信用されないからである。本件取引について申告しなかったのは、松本支店長の無断売買による損益がわからなかったので、後に修正申告をすればよいと思っていたからである」と証言する。しかしながら、前記のとおり、松本支店長による無断売買の事実はない上、売付・買付報告書及び計算書、建玉残高照合調書によって期間の損失は明確になるはずであるし、右証言は、本件取引のうち松本支店長が関与していないものについては合理的な説明となっていない。同人の前記証言は信用できない。そもそも、礼幸は、法人とはいっても、前記のように被告人が土地取引等を行う際の世間体をはばかって設立したものであって、事実上被告人のワンマン会社であり、毎期赤字決算であるため、銀行の通常の貸付けの対象となる会社ではない上、礼幸を名実ともに法人として活動させ、これを発展させるような被告人、多喜子の動きもなかったのである。礼幸の借入先は、七光商会などで金融会社が中心で、借入れの際に供する担保は不動産のほか、医師である被告人がその信用で連帯保証人となっているのであって、ことさら礼幸が商品先物取引をしていることが発覚しないように経理操作をする必要性は認められない。まして、昭和六一年から翌六二年にかけての取引による礼幸名の累積損失は礼幸の資本金の十倍以上にも及び九八八八万円に上っており、仮にこの損失が礼幸に帰属するならば、礼幸の存亡にかかわる状態で、銀行取引を云々する状態ではないはずであるところ、この点について何らの対策もとられていないことからすれば、取引が礼幸のものとするのは極めて不自然である。以上の諸点からしても、欠損金を計上しない理由が礼幸が商品先物取引をしていることを隠すためであるとの右証言は信用できないし、多喜子は、礼幸名義で取引が行われていたことは知らされていたものの、その内容までは知らされていなかったのであるから、その証言は被告人の弁解を裏付けるために敢えてなされたものと認められる。また、昭和六〇年から翌六一年にかけて、礼幸が被告人からの借入金を太陽神戸銀行の礼幸の預金口座から被告人に返済したと伝票処理され、その後、右返済金が取引に使用されていることからして、右使用の口座名の如何にかかわらず、被告人個人の取引と解される取引について、証人多喜子は、右取引は礼幸の資金を用いた礼幸の取引で、真実は被告人に借入金の返済はしていないのであって、被告人に返済したとする右の伝票処理は、銀行に商品先物取引を隠すためにした虚偽の経理処理であった旨強弁するが、証言内容自体において不合理で到底信用できない。なお、昭和六一年から翌六二年にかけて、礼幸において銀行からの借入れを実現しているものの、右はいわゆるバブル景気による土地価格の高騰によって不動産投機の対象となった礼幸名義の不動産を担保として行われた特異な現象にすぎず、礼幸の企業としての信用を問題にする余地もなく行われたものと認められるから、右銀行借入れの事実は前記認定の何ら消長を及ぼすものではない。
(六) 以上のとおり、本件取引をめぐる客観的状況からは、本件取引は被告人個人の取引であると認められる。
2 捜査段階における自白及びその信用性
前掲各証拠によれば、被告人は、犯則調査の段階において、岡地での取引は礼喜の、その余は礼幸の取引であるなどと主張していたが、その後、法人扱いにしてもらえば税金が安くなるので主張したと述べていたことが窺わるほか、国税査察官による本件公訴事実と一致する調査結果に基づいて修正申告をし、本税の一部を納付している。そして、検察官による取調べにおいては、一貫して本件取引が被告人個人の取引であることを認めているのであって、このような自白の経緯は、右の自白の信用性が高いことを一般的に示すものといえる。
また、右自白の内容をみても「国税当局の調査によって商品取引益が発覚した場合に税金を納めるとすれば、個人の所得としてよりは、会社の所得とした方が納税額が少なくて得策だと考えた」、「万一、私の商品取引が発覚した場合に、礼幸名義の取引分については礼幸の取引だと主張すれば認めてもらえるのではないかと考えた」、「私は、商品取引による利益を個人の所得として申告するつもりはなく、発覚して納税しなければならない場合には、個人の所得であることを隠した上、税制上優遇されている礼幸や礼喜の所得として納税しようと考えた」、「松本支店長から納税のことで忠告を受けたが、(昭和六三年に豊商事に委託した取引の)利益金が巨額であることから、仮に会社の所得として申告するにしても、納税のため証拠金を引き出さざるを得なくなり、儲けてしまえなくなるので、個人としてはもちろん、会社としても申告をするのはやめておくことにし、発覚した場合には、礼幸の取引だと装って法人税を納めればよいと考えていた」などと、礼幸名義を使って取引をした理由や本件所得税法違反の犯行に及んだ心情について具体的に述べており、全体として筋が通って一貫している。
この点につき、弁護人は、税法に無知な被告人がいかに弁解しても、検察官がこれを聴き入れずに供述調書を作成したもので信用性がない旨指摘するが、一見迎合的な態度を示すものの、松本支店長、小野らとの関係など重要部分においては、前後の供述に矛盾が生じても平然と自らの主張を貫く被告人の公判廷における供述態度からして、その真意に反する供述調書が作成されたとは認められない上、自白の内容は客観的状況とも符合しているのであって、弁護士の右指摘は採用できない。
3 公判廷における被告人の供述
被告人は、第一回公判期日において、「数額について疑問があるので争う。商品先物取引を税務申告しなかったのは事実であり、その余の事実は認める」旨述べ、検察官に所得税確定申告書(平成五年押第六〇〇号の1)を示された際には、所得金額や税額には商品先物取引が入っておらず、実際額よりも少なく記載されていること、それが脱税になることはわかっていたことを認めている。ところが、第二回公判期日以降、被告人は、「(冒頭手続における認否の際は)所得税法違反にしろ法人税法違反にしろ、私がやった商品取引で出た利益を税務申告しなかったのが脱税であることは間違いないので、非常に申し訳なく思っていた」などとるる弁解し、前記のとおり、矛盾する供述を平然と重ねるが、いずれも前記の客観的状況に相反し、被告人が数額について争う旨の主張を覆したことの合理的説明になっていない(なお、証人多喜子は、公判廷において、捜査段階の供述と異なり、本件取引は礼幸に帰属する旨証言し、この裏付けになるという諸事実を挙げるが、右証言は、実兄である被告人をかばうため、種々の理由を付けて、公訴提起後に初めて知った事実を、あたかも本件取引当時から知悉していたかのように証言しているものであって、採用できるものではない)。
4 以上のとおり、客観的状況から本件取引が被告人個人の取引であると推認できるところ、被告人自身の捜査段階及び第一回公判期日でこれを認めており、右自白に信用性が認められる。したがって、本件取引は被告人個人の取引であって、それによる所得は被告人に帰属すると認められる。これに反する被告人の公判廷における弁解は、その内容が不自然、不合理なものであって信用できない。
五 その他の争点について
1 安倍弁護人は、松本支店長が取引に介入し、それ以後、被告人は取引の内容を把握することができず、また、松本支店長が取引による利益を自己名義の秘密預金に積み立てて横領し、密かに利得したかのような指摘をするが、松本支店長が自己の名義で預金口座を設けたのは、前記認定のとおり、被告人が自己の名義で預金口座を開設することを嫌ったためで、被告人は松本名義の預金口座の内容を知悉していたのである。また、被告人は昭和六三年四月から五月にかけて、松本支店長に謝礼金として合計一〇〇〇万円を交付しているが、このような高額の謝礼金も、豊商事での右期間の取引により約五億七〇〇〇万円の利益を得たことから交付されたものと認められ、前記小野に一任取引を許諾した態様などから窺われる被告人のむらっ気のある性格からして、右金員の交付にそれ以上の意味があるとは考えられない。さらに、前記のとおり、松本支店長に無断売買の事実は認められないことからすれば、弁護人の右指摘は採用できない。
2 また、安倍弁護人は、被告人が利益金の一部を他の取引の委託証拠金として入金したり、将来の取引資金に充てるべく引き続き取引口座に入金したままにしていることをもって、そのような状態では被告人に所得はない旨主張するが、それは被告人が利益を更に増加させようとしているにすぎず、本件の商品取引売買益が課税所得になることは明らかである。
3 その他、安倍弁護士がるる主張するところも、これまで検討したところから理由のないことが明らかである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、所得税法二三八条一項(ただし、罰金刑の寡額の関係で、刑法六条、一〇条により平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項)に該当するところ、所定刑中懲役刑と罰金刑を併科するとともに、情状により同条二項を適用し、その所定刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年六月及び罰金一億五〇〇〇万円に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中一六〇日を懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。
(量刑の理由)
本件は、医師である被告人が、本業の傍ら継続的に行っていた商品先物取引によって得た利益の全額を秘匿して、単年度で七億七〇〇〇万円余の所得税を免れたという事案であるが、単年度の脱税額としては稀に見る高額なものである上、ほ脱率も約九九・八パーセントと極めて高率である。被告人は、商品先物取引は投機性が強いので、利益が出ているうちに取引を広げ、更に多くの利益を得ようと考えていたところ、既得の利益を申告すれば納税分だけ委託証拠金に充てる資金が減少するという利己的な動機から本件犯行に及んだものであって、動機の酌量の余地はない。そして、万が一、税務当局に商品先物取引で利益を得ていることが発覚した場合には、税法上個人よりも有利な取扱いを受けられる法人の取引であると弁解するため、礼幸名義を使用して取引をしたほか、建玉制限を免れるなどの目的を併せ有していたとはいえ、多数の仮名、借名を使って取引を行っていたもので、脱税の手段、方法も巧妙かつ悪質である。さらに、被告人は、公判廷において本件犯行を否認し、不自然、不合理な弁解に終始しており、本件を真摯に反省しているとは認められない上、本件発覚後の本税の一部を納付しただけで、その余の本税、重加算税等を納付していない。
以上によれば、本件は悪質かつ重大な脱税事犯であり、被告人の刑事責任は重大であるというほかなく、被告人には前科前歴がなく、医師として長年医療に貢献してきたこと、本件で相当期間身柄を拘束され、反省の機会を与えられたことなどの有利な事情を十分斟酌しても、主文の刑が相当である。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役三年及び罰金二億円)
(裁判長裁判官 伊藤正髙 裁判官 朝山芳史 裁判官 中里智美)
別紙1
所得金額総括表
<省略>
別紙2
修正損益計算書
<省略>
別紙2
修正損益計算書
<省略>
別紙3
ほ脱税額計算書
<省略>